チャレンジすることも悪くないし、失敗すること自体も問題ではない

私は、バッターボックス理論に対しては、否定的で、宝くじも買わないと当たらないの考えに似てると思ってしまいます。

宝くじの売上は、年々、下降の一途をたどってるようですが、その他の、オンライン系のギャンブルは、安定して伸びてるようで、日本全体としてのギャンブルの売上は、上昇傾向らしいです。

そうなんです、宝くじは、ギャンブルで、買わないと当たらないというのは、ギャンブルの発想だから、バッターボックス理論も否定的なのです。

ただ、チャレンジすることは、肯定的ですし、失敗すること自体も問題ではないと思っています。

私は、最近、日商簿記の2級の試験を受けました。

結果は、惨敗でした。今の仕事としては、日商簿記を受けることは、チャレンジです。

不合格が目に見えてる時点で、失敗です。これを失敗というかという議論もあるかと思いますが、私は、失敗だと思います。

合格が成功なら、不合格は失敗です。私は、それ以上でもなければ、それ以下でもないと思います。

だから、失敗すること自体は、問題ではないと思うわけです。

そして、大事なのは、その後です。

不合格だった理由の分析こそが大事だと思います。

私は、日商簿記の試験を受けるにあたって、勉強しましたが、難しすぎて、あまり、勉強に時間をかけれませんでした。

そして、本番の試験を受けましたが、やはり、問題に手こずりました。

ですが、本番の試験を受けながら、ここは、もうちょっと、あそこを勉強しておけば取れそうだな、

ここは、何をやればよさそうだな。など、頭に浮かびました。

事前の試験前の勉強のときは、難しい問題ばかりを解こうとして、難しく感じていたことを気づきました。

だから、次回は、もっと、基礎的な部分や簡単な問題を繰り返し解いて、

解く、解けた、という数を増やして、勉強時間自体を増えるようにして、

試験にのぞもうと思い、今、実際に、基礎的な部分を何回も解いています。

そうすることで、理解が深まり勉強が面白くなってくるのです。

 

これは、私が、チャレンジした結果ですし、失敗すること自体の経験から基礎を大事にしようと思ったわけです。

試験を受ける前は、いくら、ここが大事とか、基礎が大事とか言われても、気付かなかったと思います。

 

ここで、私は、思いました。

バッターボックス理論の本当の意図は、そういうチャレンジと失敗の経験の部分だと思いますが、

良く言われてるのは、ギャンブル的な、バッターボックスに立たないと当たらない、の部分にばかり、話がいくから、

私は、違和感を感じてるのだと思いました。

 

失敗すること自体も問題ではないと思います。

大事なのは、その後です。次に、自分がどうするか?です。

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