客観的に見れる自分でありたいってどういうことなんだろう。

客観的に見るってどういうことだろう。

 

もし、客観度指数なるものがあれば、

 

 

自分の会社の商品をうちの会社の商品は優れてるから買ったほうがいいですよ。

っていうのは、どうだろうか。

 

これは、恐らく、客観度指数は20%かもしれない。

 

 

見知らぬ相手に自社の商品を薦める場合、客観度指数は低い。

 

 

だが、身内に、うちの会社の商品は優れてるから買っといたほうがいいって言うと、

 

客観度指数は80%ぐらいかもしれない。

 

色んなお客さんに売って自信がある、喜んでもらったっていう経験やデータが蓄積されてるからだ。

 

 

しかし、保険の商品となると、身内に買わせるテクニックが満載のため

 

客観度指数は、急激に下がり10%以下になるかもしれない。

 

保険は、どこで契約してもほとんど一緒、なんなら、実は、保険に入らなくても

 

全く、困らない。っていう、データを隠して、売ってるケースが結構あるはずだ。

 

 

そう考えると、客観度指数が高いということは、

データや経験も含め、正直であること、ということになるのかも知れない。

 

客観的に見れる自分でありたいというのは、

 

お客さんに対して、正直でありたい。

 

真っ当でありたいという気持ちの一つの形かもしれない。

 

 

過去、色んな会社や組織で上からの命令で仕方なく、正直になれなかった、

 

取引相手があまりに理不尽で、仕方なく、ごまかしてしまった、

 

とか、色んな過去の残骸が残ってるのかも知れない。

 

 

いいと思う、

 

客観的に見れる自分でありたい

 

いいと思う。

 

そして、その理由も、それこそ、正直に伝えたらいいと思う。

 

正直に伝えて、認めてくれる相手と仕事をしたらいいと思う。

 

抽象的な言葉って、人によって違う言語だと思う。

 

みんな、その理由が知りたいんだと思う。

 

その理由が聞きたいんだと思う。

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