影響を受けることをやめる

私は、とある時期から、日記を付けるようになりました。

よく、他人や子供に自分ができなかったことをやらせよう、夢を託そうみたいな人がいます。

しかし、大抵は、相手が思うように動かず、育たず、裏切られただの、期待外れだのぼやきます。

私は、それは、どうもイケてないな。と思いました。

例えば、もっと偏差値の高い大学に行きたかった、と思ったら、他人に行かせるんじゃなくて、自分で行けばいいんです。

もっと、良い資格、例えば、医師免許でも、税理士資格でも、自分で取ればいいんです。

さすがに、50歳を過ぎてから、プロ野球選手やオリンピック選手は、無理でしょうけど。。

打首獄門同好会のベーシストは、ダウンタウンと同級生で還暦超えてるみたいですし。

やって、やれないことは、ないな。って思います。

だから、私は、自分に自分の夢を託すというか、育て直しみたいなことをやろうと思ったのです。

日記を毎日つけるうちに、自分の中の、弱い部分や、みっともない部分、嫉妬したり、恨んだりと、ネガティブな部分も書いていきました。

自分の心の中の赤ん坊を育てるような気持ちで書いていきました。

赤ん坊は、思っちゃいけない、考えちゃいけない、とか、思わないですからね。自由に考えました。

で、自分の思うところや言いたいことは、育っていきました。

世の中が「いい人ばかりじゃないけど、悪い人ばかりでもない。」とのブルーハーツの言葉のようにあるように、私の中でも、いい人な自分ばかりでもなく、悪い人ばかりでもないのがわかりました。

自分というのは、面白いものだ。と、思うようになりました。

そんなとき、ふと、なぜ?自分の面白さや、存在感のようなものに気付けなかったのか考えました。

それは、私が、人一倍、「他人の影響を受けていた」との考えにいたりました。

確かに、人は、誰かの影響を受けると、自分では、思ってもないような、能力を発揮することがあります。

大きな大会、イベント、行事、チーム競技など、仕事もチームでやったほうが、成果が上がるのも事実です。

しかし、インフルエンサー的な人から始まり、有名人、著名人、カリスマ、影響力のある人々、そういう人たちの影響を受け続けてるうちに、自分の中が空っぽになっているような、感じだったのです。

コスパ思考というか、損しないように、無駄のないように、より成果が上がるように、負けないように、など、そういう、効率のようなものに振り回されていた自分に気づきました。

自分を育て直ししようと思ってから、そういう、自分の影響を受けている部分がハッキリ意識されてきたのです。

だから、私は、影響を受けることをやめました。遠回りでもいいから、自分の頭や体を使って考え答えを出すことにこだわりました。

そうして、3年ほど立ちました。

何かが変わったかというと、変わりません。

だけど、影響を受けるというのは、どういう効果があり、影響を受けなくても、十分やっていけることがわかりました。

そもそも、自分が特別にならなくてもいいし、平凡が悪いわけでもないことに気づきました。

影響を受ける理由は、他人がその人を見たときに起きることであり、影響を与えてる人は、普通なのだなと思うようになりました。

この、数年間の中で、私は、影響を受ける、をやめて、良かったと思います。

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